Middle Tempo Magic
人混みの中に埋もれ埋もれ
ケンタとジュンとカヨちゃんの国
先月、菅野美穂主演で西原女史原作の
「パーマネント野ばら」を観に行った時の予告編に
頭の中でぱちんと電気が弾けたのだ。
というわけで映画 「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」
映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』予告編
「パーマネント野ばら」を観に行った時の予告編に
頭の中でぱちんと電気が弾けたのだ。
というわけで映画 「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」
映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』予告編
◆◆◆◆◇
孤児施設で兄弟のように育ったケンタとジュンは
劣悪な環境の解体作業現場で搾取され虐げられる毎日に苛立ち、
ある日、人生を変える大きな一歩を踏み出す事を決心する。
そしてムカツクのヤクザ崩れの社長に復讐し
行きずりのカヨちゃんと共に兄ちゃんの居る網走を目指し旅に出るのです。
親もいない、力もなく、無知で、愛も知らず
ただ、純粋に愛されたい、誰かに傍に居て欲しい、誰かを抱きしめたい
そして幸せに生きたいと切に願う。
だから現実を、ぶっ壊してぶっ壊してぶっ壊して・・・
光が見えると信じて辿り着く、その先に何があるんだろう?
夢とか幸せとか・・・愛、とか?
持つべきモノを持ってなく与えられた事もない弱い彼らは
それの手に入れ方も知らなかったし
よくよく考えみたら、求めていたそれが
そもそもどういうものなのかを知らなかったのです・・・。
と、息が詰まりそうな2時間11分間。
エンディングで「私たちの望むものは」が流れた時の
ズタズタなんだけど優しく包まれるようななんとも言えない気持ち。
この叙情感はぜひ映画館で味わって欲しいです。
◆◆◆◆◇
以下、ネタバレ、例によって中二病全開で感想垂れ流し・・・。
幸せってなんだ~っけ、なんだ~っけ♪
個人的には、誤解が無い様に言えば、
共依存症とか、努力しないって意味じゃなくて
幸せとか居場所って与えられる事でしか手に入らないように思う。
劇中で、ジュンが多部未華子とゴハン食べて
疑問に思うシーンがじゃないですか。
ミカちゃん「私の夢はね(以下、どうでもいいこと云々かんぬん)」
ジュン「それって誰が考えたの?」
と真顔で聞くくだりは、なかなか・・・。
何でオレと一緒に来たんだって、
生い立ちを考えたら彼らには与えてくれる存在って、
お互いしかいないし他に知らないんだもん。
それとジュンにはカヨちゃんね。
私は愛されたい、アイサレタイの!
と無償の愛を願うカヨちゃんの心の叫びは、
どんな捻くれた人であっても人間ならホントは誰でも同じだと思う。
例え、そんなもん多かれ少なかれ幻想や思い込みで
嘘と分かってる糞喰らえな記号みたいなもんであっても
やっぱりヒトは切にそれを願うじゃん。
愛だのなんだの綺麗な物のように扱われるけど
そう考えたらひどく見苦しく肉欲的で汚らしい感じもしてしまう。
でもいくらカッコつけて否定的に考えてみたところで
それがホンネで生きるって事の根幹を為すなんじゃないのと
認めざるを得ない気もするから仕方ない。
私だって本当は寂しい。会いたい愛したい愛されたよと。
しかしまあ、松田翔太って初めて見たときは、
兄の龍平に負けず劣らずの変な顔で
いかにもナルシーな感じで気持ち悪いなんて思ったけど
今ではすごくいい男になったなあと思ったよ、マイッタ。
いや、こんなのが、そこらへんにいたらさ、やっぱりものすごく違和感あると思うよ。
でも、アニメの顔の人が現実にいたらおかしいけど、画面の中では自然じゃん。
それと同じでスクリーンの中ではピタッとはまるというか、
「持ってる」んだなあと言う感がビンビンします。
あとは、安藤サクラのカヨちゃんの存在感(及び肉感)がすごいねえ。
よく考えたら、タイトルに名前があるわりには、中盤は消えちゃうし(笑)
異常にイタい、バカでブスで臭くて、たしかにサイアク的存在なんだけど
エンディングテーマで感じたあの安堵感は、
あれこそがきっとカヨちゃんのふとももの安心感なんだろうなあと思った。
映画のテーマとはやや逸れるかもだけど、
途中からは2010サマーツーリングキャンペーンの如く
北海道や東北をバイクで爽快感満点に駆け抜けるのよね。
他のお客さんには、どう見てもバイクに興味はなさそうな
今時のぎゃるーな感じの若い女の人の割合が結構多かったんだけど
(イケメン俳優ぞろいなせいもあるだろうなあ、確実に)
彼女らの目にはどんな感じに映ったのだろう?
なんてのがちょっと気になったりもしてました(笑)
行きたいなあ、北海道・・・。
孤児施設で兄弟のように育ったケンタとジュンは
劣悪な環境の解体作業現場で搾取され虐げられる毎日に苛立ち、
ある日、人生を変える大きな一歩を踏み出す事を決心する。
そしてムカツクのヤクザ崩れの社長に復讐し
行きずりのカヨちゃんと共に兄ちゃんの居る網走を目指し旅に出るのです。
親もいない、力もなく、無知で、愛も知らず
ただ、純粋に愛されたい、誰かに傍に居て欲しい、誰かを抱きしめたい
そして幸せに生きたいと切に願う。
だから現実を、ぶっ壊してぶっ壊してぶっ壊して・・・
光が見えると信じて辿り着く、その先に何があるんだろう?
夢とか幸せとか・・・愛、とか?
持つべきモノを持ってなく与えられた事もない弱い彼らは
それの手に入れ方も知らなかったし
よくよく考えみたら、求めていたそれが
そもそもどういうものなのかを知らなかったのです・・・。
と、息が詰まりそうな2時間11分間。
エンディングで「私たちの望むものは」が流れた時の
ズタズタなんだけど優しく包まれるようななんとも言えない気持ち。
この叙情感はぜひ映画館で味わって欲しいです。
◆◆◆◆◇
以下、ネタバレ、例によって中二病全開で感想垂れ流し・・・。
幸せってなんだ~っけ、なんだ~っけ♪
個人的には、誤解が無い様に言えば、
共依存症とか、努力しないって意味じゃなくて
幸せとか居場所って与えられる事でしか手に入らないように思う。
劇中で、ジュンが多部未華子とゴハン食べて
疑問に思うシーンがじゃないですか。
ミカちゃん「私の夢はね(以下、どうでもいいこと云々かんぬん)」
ジュン「それって誰が考えたの?」
と真顔で聞くくだりは、なかなか・・・。
何でオレと一緒に来たんだって、
生い立ちを考えたら彼らには与えてくれる存在って、
お互いしかいないし他に知らないんだもん。
それとジュンにはカヨちゃんね。
私は愛されたい、アイサレタイの!
と無償の愛を願うカヨちゃんの心の叫びは、
どんな捻くれた人であっても人間ならホントは誰でも同じだと思う。
例え、そんなもん多かれ少なかれ幻想や思い込みで
嘘と分かってる糞喰らえな記号みたいなもんであっても
やっぱりヒトは切にそれを願うじゃん。
愛だのなんだの綺麗な物のように扱われるけど
そう考えたらひどく見苦しく肉欲的で汚らしい感じもしてしまう。
でもいくらカッコつけて否定的に考えてみたところで
それがホンネで生きるって事の根幹を為すなんじゃないのと
認めざるを得ない気もするから仕方ない。
私だって本当は寂しい。会いたい愛したい愛されたよと。
しかしまあ、松田翔太って初めて見たときは、
兄の龍平に負けず劣らずの変な顔で
いかにもナルシーな感じで気持ち悪いなんて思ったけど
今ではすごくいい男になったなあと思ったよ、マイッタ。
いや、こんなのが、そこらへんにいたらさ、やっぱりものすごく違和感あると思うよ。
でも、アニメの顔の人が現実にいたらおかしいけど、画面の中では自然じゃん。
それと同じでスクリーンの中ではピタッとはまるというか、
「持ってる」んだなあと言う感がビンビンします。
あとは、安藤サクラのカヨちゃんの存在感(及び肉感)がすごいねえ。
よく考えたら、タイトルに名前があるわりには、中盤は消えちゃうし(笑)
異常にイタい、バカでブスで臭くて、たしかにサイアク的存在なんだけど
エンディングテーマで感じたあの安堵感は、
あれこそがきっとカヨちゃんのふとももの安心感なんだろうなあと思った。
映画のテーマとはやや逸れるかもだけど、
途中からは2010サマーツーリングキャンペーンの如く
北海道や東北をバイクで爽快感満点に駆け抜けるのよね。
他のお客さんには、どう見てもバイクに興味はなさそうな
今時のぎゃるーな感じの若い女の人の割合が結構多かったんだけど
(イケメン俳優ぞろいなせいもあるだろうなあ、確実に)
彼女らの目にはどんな感じに映ったのだろう?
なんてのがちょっと気になったりもしてました(笑)
行きたいなあ、北海道・・・。
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バイク乗ったりうまいもん食ったり本読んだり写真撮ったり音楽聴いたり旅人に憧れれつつ人生迷子中だったり。
お問い合わせは wanito.kagekisuあっとgmail.com まで
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